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灰 (ピカレスクのための習作)


rake over the ashes
[慣用句](不愉快な)過去をほじくり返す


初めて銃爪(ひきがね)を引いたのは十四のときだ。硝煙の臭いもあのとき初めて嗅いだ。冷たい金属の感触、重さ、軽い発砲音に見合わぬ粘着質な衝撃は、扱い慣れた現在でも鮮明に思い出すことができる。
オレが撃ったのは、当時大蝦蟇組の若頭だった波風ミナト。孤児院を抜け出して街で腐っていたオレを拾って世話してくれた恩人だった。ミナトさんはある女を庇って撃たれた。大蝦蟇組組長・自来也に銃口を向けた、クシナという殺し屋の女だ。
ミナトさんはクシナと結婚することを報告するため二人で事務所に来ていた。なぜあのとき組長室の外に電話番さえ見習いを始めたばかりのオレしかいなかったのだろう。組長室からガラスの割れる音がしてオレは咄嗟に山積みの段ボール箱の中から拳銃を取って中へ飛び込んだ。都合の良いことに、前の晩よその組の取り引き現場に居合わせた兄貴分たちが取り引きを阻止するとともに奪取してきたのだ。今思えば、何もかもがあの女によって準備され尽くしていたに違いない。
リノリウムの床には粉々になった焼き物の壺が散らばっていた。自来也の親父は仕込み杖に手を掛け、ミナトさんはクシナの手首を掴んで睨み合っていた。

「カカシ、動くな!」

親父が怒鳴った。だがオレの目には、クシナが上着の下から新たに抜き取ろうとしている小銃しか映っていなかった。
ぱん、という音のあと、オレは尻餅をついた。クシナを抱いたミナトさんがゆっくりと倒れるのが見えた。血は周囲に少し散っただけで噴き出したりはせず、弾が貫通した脇腹から服に染みてゆき、浸潤が追い付かないぶんはのろのろと床に流れて広がっていく。
ミナトさんは顔を歪めながらも穏やかに言った。

「カカシ、銃を下ろすんだ」

そして震える指でクシナの頬に触れた。

「怪我はなかったかい?」
「……どうしてこんな馬鹿な真似をしたの」

対するクシナは冷たく言い放つ。

「馬鹿、かぁ……」
「私の狙いに気付いていたくせに」
「ハハ……だって、仕方がないだろ?……きみを、クシナを、愛してしまったんだから」

ミナトさんは満ち足りた顔をしていた。彼の死に様はオレが知る良き兄貴分としてのミナトさんではなく、大蝦蟇組若頭でもなく、親父の言葉を借りるならば、『ひとりの男の最期』だった。
動かなくなったミナトさんを湿気た布団のように押しのけてクシナは起き上がった。オレは再び照準を定めるべく銃を構え直す。が、肩から下が硬直して撃鉄に指が届かない。また親父の怒声が飛んだ。

「動くな!」

クシナではなくオレに向けられた威嚇だ。クシナは親父を一瞥し、へたり込むオレを見下ろした。

「きみには私を撃てない」
「うるさい!親父!早くこの女を捕まえ――」
「行かせてやれ、カカシ」
「親父!」

親父は仕込み杖をすっかり鞘に収めてしまった。組長室は狙撃対策として窓をモルタルで塗り固めてあり、天井近くに明かり取りのための細長い防弾ガラスが埋め込まれているのみである。あの日はとても晴れていて、差し込む光がクシナの輪郭を金色に縁取っていたのを覚えている。クシナは愛おしそうに自分の腹を撫でて見せた。不自然に丸く膨らんだ腹だ。

「あのね、私、子供ができたの。ミナトの赤ちゃんよ」

たった今ミナトさんの死体を足蹴にしたばかりの女が、礼拝堂に鎮座する聖母像のように微笑みやがったのだ。

「さっさと失せんか」

親父が吐き捨てた。

「言われなくても消えるわ。あなたを仕留め損ねちゃったし」
「二度と姿を見せるんじゃない」
「それは約束できない」
「産むつもりなんだろう」
「もちろん。ミナトの子だもの」
「ならば」
「私がどういう女か知ってるでしょ?普通の母親に混じって生きていくなんて、私にはできっこないってばね」

屈託ない笑い顔と印象的な口調。オレは呆然と二人のやりとりを眺めながらも必死にそれらを己の魂に焼き付けようとしていた。いつかミナトさんの子をこの女から取り返さなければと思った。オレと同じように両親不在の境遇に落としてしまうとしても、この女の元でミナトさんの子が育つなど許せないと思ったのだ。

あとから聞いた。あの女、クシナの通り名。殺し屋にしては派手な赤毛と、依頼をするといつも火曜日に死体が上がることから付いたらしい。
『ルビー・チューズデイ』。
オレが初めて銃爪を引いたのは十四のとき。よく晴れた秋の、火曜日の午後のことだった。



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